素玄SOGEN.の理念

[菱山直子×石井美穂]2人が語る「ローカルとグローバル」

これからのローカルの在り方について思考を巡らせる時、『素玄』のふたり、菱山直子と石井美穂の語りは、とめどなく続きます。
「強く、しなやかなローカルを作る!」をタグラインにした『素玄』にとって、“ローカル” というキーワードは磨けば磨くほど輝く原石。対して “グローバル” はどうでしょう。一見、相反するようなローカルとグローバルが手を取り合えば、より良い未来が築けるのか。菱山と石井のいつもの会話の中から、ローカルとグローバルについて考えるヒントを見つけたいと思い、今回のインタビューが始まりました。

菱山直子(左)と石井美穂(右)。

結成のきっかけ。

─── 鎌倉で日々 “ローカル” と向き合うおふたりから、“グローバル” という言葉が出てくることが、とても意外でした。

石井それはやっぱり、もともと菱山が、郵政省や日本郵便で仕事をしてきた人間だということが大きいと思います。

菱山20代、30代はグローバル経済の渦の中にいたので(笑)。気象衛星ひまわりの開発などを行う、郵政省の宇宙開発の課に所属して、硬い、国の仕事をこなしていました。
2010年に鎌倉郵便局の局長になって、鎌倉に通勤するようになり、『祖餐』が運営している<満月ワインバー>で石井と知り合ったんです。

石井局長(石井は今も菱山をこう呼ぶ)、最初はちょっと感覚がズレていたよね(笑)。

菱山でしたね(笑)。それが、3年通っているうちに東京でお酒を飲む回数が減り、「飲む時は鎌倉」になったことを機にローカルに惹かれ始めて。
鎌倉ではお店の人やお客さんが顔なじみだったりする。そんな環境の中で美味しいものを食べたり飲んだりする心地良さは、私はこれまで味わったことがなかったから。それに東京では、美味しいお店はネットで探していたけれど、こっちではお酒の場で知り合った人や周りの友だちに聞けばいい。この距離感は、グローバルとローカルの違いにも通じるものがあったんです。

石井ローカルから一番遠いところにいた菱山が、少しずつローカルの良さを知ってくれることが私も嬉しくて。

菱山気づけば、石井夫妻の結婚式の司会までやる仲になっていました。

─── 菱山さんがローカルに興味を持つ一方で、石井さんはグローバルの必要性を感じるようになっていったのでしょうか。

石井そうなんです。ローカルとグローバルそれぞれが、お互いのためになるような関わり方があるんじゃないかって、菱山と出会って、そのことをより深く考えるようになりました。

『オトナのかき氷』から始まった。

───「ふたりで何かできる」と考えるようになったのはいつ頃のこと?

石井『祖餐』のオープンが2016年で、もうその年には『素玄』も “個人事業主ユニット” としての活動を始めていました。
当時から、「より良いローカルを育むことで企業も繁栄する」という視点はふたりとも持っていましたね。

菱山今の活動のハシリになったのは、私がまだ郵便局長だった頃に石井と企画・運営した『オトナのかき氷』でした。
由比ヶ浜通りにあるお花屋さんが夏の間だけ休業しているので、そこを借りて期間限定のかき氷店をやろうということに。石井の繋がりで20店舗以上のオーナーさんにお声がけしたのに、直前でその場所が使えなくなってしまって……。

石井夏休みいっぱい借りる予定が、たった2日しか営業できなくなった。

菱山サラリーマンの仕事の仕方とはあまりに違うし、予測不可能なことばかりで私は唖然とすることも多かったけれど、そういう時の石井には実行力があった。企画そのものは成功とは言えなかったけど、あれを機に、「ローカルとサラリーマンが手を組んで、何かをやっていこう」という1つの兆しが見えたんです。

石井私は、規模が小さくなったり、形が変わってしまったりしても、最後までやり遂げるタイプなので。それに何より、たくさんの人にかき氷のソースを考えてもらえたことの方が重要だと思って。
一緒にやろうと声をかけて応えてもらえる、こういう心のつながりが大事。「ローカルの良さってコレだよね」と思っていました(笑)。

菱山「あの店のシェフが作ったかき氷なら食べてみたい」と思えるような、そうそうたる顔ぶれのオーナーさんたちが快諾してくれて。企業ならお金を払っても難しい案件だろうに、ローカル同士ならこういうことが成り立つ。
これは、企業感覚の人間には出来ないこと、マーケティングでは成り立たない世界だと実感しました。夢見ていた売り上げには到底届かなかったけど、今、あの時の経験が活きている。『オトナのかき氷』を皮切りに、企業CSR協賛の『マイ電力体験イベント』などの企画へと繋がっていきました。

『素玄』になるまでのふたり。

─── グローバル社会の中で揉まれてローカルに可能性を見出した菱山さんと、ローカルの目線からグローバルの必要性を感じた石井さん。おふたりは、出会うべくして出会った間柄という感じです。どうしたら、このように理念を共にできる仲間に出会えるのでしょう。もう少し詳しく、おふたりのルーツについて聞かせてください。

菱山初めの4年間は、“おいしいお店のオーナー夫妻とお客” という関係でしたよね。私は郵便局長。石井はカウンセリングの仕事を軸に、『祖餐』の仕事もやっていて。

石井小学生の頃から母の心の病気を見ていたので、私がカウンセリングをやっているのはごく自然な流れで。自分の人生も大切だけど、今、目の前で苦しんでいる人をケアしないといけない。人を観察することが身に付いていたので、自分の生活そのものがデータになっていました。
これまでに多くの人を見てきたけれど、お金のために働いている人、お金をネガティブに捉えている人、無力感の素がお金であることが本当に多かった。
お金に苦労している人は精神疾患がどんどん悪化する。生き方を見失った人を何人も見てきたから、「お金によって回る世の中って一体何?」と考えるようになって。企業の中で上手に生きられる人ばかりじゃないし、人はどうやって生きていくのが良いのかを考え続けてきた。それが、地域のことを考えることに繋がっているんです。

菱山私自身も病気を抱えていました。20代で嘔吐過食症になって、5年間、心理カウンセリングを受けていたんです。その頃は、郵政省にいる優等生の自分と素の自分のギャップにずっと葛藤がありました。
今では100円の違いでも「高いね?」という感覚なのに、30代で年間100億円を扱うような仕事に携わっていて。40代の頃に、これからの日本社会のありようのことや少子高齢化について徹底的に考え尽くした時期があって、悲惨な現実、データ、フィールドワークや現場を見て、徹底的に仲間とも議論して。その時期に1人のローカルの造り酒屋の社長さんに出会ったんです。
30代で大企業を辞めて衰退する日本酒事業を引き継いだ人で、苦労して経営を軌道に乗せて、今やローカルの日本酒業界が盛り上がるための施策も展開するまでになった。その姿に、「1人の個が生きることが、ローカルを、社会をどれだけ良いものとする可能性があるのか」ということを見せてもらえた気がしたんです。「1人の個は、組織を出て、広いフィールドが与えられた時に、こんなに活躍できるんだ」「グローバルで生きる企業・人々が、ローカルとコラボして生きることができれば、こんなに社会を良くできるんだ」という実感を腹の底から持ちました。これこそが、少子高齢化という困難に向き合っていく日本社会の、今、ここからの未来を切り拓くひとつの可能性なんじゃないかって。
それで後日、その話も含めて仲間とブレストしていた時に、「これって、人のことではなく、私のこと? いつか退職したら……。少子高齢化はすぐここにやってきている。いつかって、いつだ?」。そういうことを考えた1ヶ月半後、私は退職に至りました。不安で不安で、1ヶ月で7kg痩せたほど泣いて悩み、恩義ある会社や人々にも散々引き止められながらも意思を変えず、残りの生涯賃金約2億円も、女性役員にきっと絶対なれるぐらい死ぬほど働いて築いてきたキャリアも放棄しました。
そして、この道に至ることを、旦那さんもOKして支えてくれた。これが私のローカルの社会課題に向き合い、会社を退職してまで第二の人生に至る上での起点です。

ローカルとグローバル、地方と行政の中間に。

─── これほどまで壮絶な体験をした菱山さんが、今、こうして笑いながら前を向いている姿は、目の前で話を聞いている人間の心を熱くさせます。石井さんの幼少期からのお話も凄まじいけれど、同じように未来の話をする時の顔がとても明るい。それぞれ別の場所で生きてきたおふたりが、こうして出会えた必然を感じます。お話の余韻がまだ強烈に残ってはいますが、先に進んでいきましょう。『素玄』のことをもう少し詳しく教えてください。

菱山『素玄』は、「住民協働のある暮らし」を目指しています。それは、生きる力に溢れる暮らしのモデルで、みんなの “好き” や “得意” が手を取り合い、循環していく形です。子どもたちの未来を楽しくしよう。高齢者の第2の人生も楽しくしよう。自分たちの今も楽しくしよう。そのために日々工夫をして、いろんな可能性を具現化していく会社です。ローカルとグローバル、地方と行政の間に『素玄』が入り、循環させていきます。

石井新しいお金の在り方の模索もしていきます。

菱山格差が生まれて、就労が減り、経済のめぐりが小さくなっている社会において、“行政が何かやってくれる” と思ってしまったらダメ。100年生きる時代に人生が輝くよう、自分たちの住む町でプロジェクトを育み、土作りみたいにより良い世界を作っていかないと。

石井すべてをなんとかしようとせず、部活くらいの感じでスマートにやって行ければいいな。個人事業主同士の部活を管理するのが『素玄』という感覚です。ローカルを仕組み化させるには? グローバルの役割は? こういうことをなんでも応えられるのが菱山の強みなので。

菱山そして、ローカルの人の心を掴むのは石井の役割です。私自身、石井に誘われてローカルの中に飛び込み、夢にも思わなかった人生があるので。

石井みんなの中間にいる『素玄』でありたいですね。

菱山これまで繋がってきた仲間はみんな良い人ばかり。『祖餐』を好きでいてくれる人たちだから、スクリーニングができているんです。

石井本社はココですしね。

菱山『祖餐』は単なる飲み屋じゃないからね。すべては、この場所から始まったストーリーですから。

菱山直子代表取締役社長

個が生きる、好きとトクイを生かした、ローカルライフシフト専門家。
自らが社会へと提唱するライフシフトを、自ら体現して生きる。

23歳で慶應SFCを卒業し、郵政省の宇宙開発委員会担当として仕事人生をスタート。
第一の人生:郵政省~日本郵便の女性キャリア~鎌倉郵便局長。
グローバル社会における国家と市場経済・規模とスピード・競争と成長の世界で生きる。

44歳で退職し、鎌倉の地で1人の個人事業主として歩みはじめる。
第二の人生:整体師、スウェーデン織作家、鎌倉まちごとオーケストラ運営局長、素玄代表。
地球や自然と共生し、体の声を聴き、共感する仲間たちとの生きる力に溢れる暮らしを生きる。

グローバルとローカル。2つの世界の間に立ち、企業とローカルが手を携え人と街、子どもたちの未来のために「あるといい」を創りだす。
そんな住民協働事業のある社会づくりを提唱している。

美味しい旬の自然なごはんが大好きな夫と大学生の娘とともに、日々楽しく暮らす50歳。

note菱山直子「人を紡ぐ、社会を紡ぐコンテンツづくり」

石井美穂取締役副社長

子供の頃より無貨幣経済や独立自治などに興味を持つ。
10歳より母親の精神疾患のケア、19歳より結婚、育児、介護等を経験し、いわゆる社会的な立場の弱い人の様々な人生や環境と触れることで自然療法を用いたカウンセリング、コンサルティングを開始。のべ7000人と交流し今も継続している。

コミュニケーションの重要性と人と自然の関係を大切にすることを提唱するとともに “ローカルには(世界には)競争はいらない” をモットーに、街造りを自分ごとにできる人々と活動中。

鎌倉御成町にて家族で経営するナチュラルワインバーではお勝手担当。
5人の母。